一灯庵日記 『ナルニア国物語 .薀ぅンと魔女』
共謀罪の法案をめぐる動きを注視しています。
教育基本法の動きも同様。
日本はこれからどうなっていくのでしょうか。
絶対王政の時代とは違って、国が国民を管理しづらい状況にあるのが現代です。とくに自由と民主主義を国是としている国家では。国として求心力を強化するためには、「テロリスト」という「外敵」と、「愛国心」という思想教育が必要だという判断があるのかもしれません。
田中宇さんの国際政治分析を読んでいると、中国や朝鮮半島との緊張関係も、単純に歴史問題や領土問題で対立しているというよりは、双方の駆け引きがあることを示唆しています。日本側も敢えて煽っているところがあるな、と。� �っちもどっちということですね。田中さんの分析の先見性には目を見張るものが多く、参考にさせてもらっていますが、歴史というものがイデオロギーの対立なんていう単純なものではなく、国際資本の動きによって作り出されてきたという側面をまざまざと感じさせます。田中さんの分析では、今後アメリカは世界の覇権から撤退し、多極化の流れになるそうです。日本はいつまでアメリカ一辺倒を保っていられるでしょうか。社会の変化に惑わされることなく、己の生き方を貫いていきたいものです。
先日、映画を見てきました。ルイス原作の上記作品です。
あらずじを紹介します。
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時代は1940年、第二次大戦中のイギリス。ペベンシー家の4人きょうだいがロンドン大空襲を避けるために田舎の大きな屋敷に預けられる。屋敷には空き部屋がたくさんあり、その中の一つには大きな衣装ダンスがあった。かくれんぼでこの衣装箪笥に飛び込んだルーシィは、衣装箪笥の奥から冬に閉じ込められたナルニアに迷い込み、フォーンのタムナスに出会う。ナルニアは魔女の呪いでずっと冬の日が続いていた。
「アダムのむすこ」と「イブのむすめ」、つまり「人間の子どもたち」がケア・パラベルの王座に就くことが白い魔女の最期・冬の終焉となるという予言があった。魔女は子どもたちを捕らえようと画策し、エドマンドを好物のターキッシュデ� ��ライト(日本語翻訳ではプリン、魔法がかけてある)で誘惑、兄弟を騙して連れて来させようとする。エドマンドは兄弟を魔女のところに連れて行けず、一人で魔女のところに戻るが、魔女はそれまでと打って変わって、エドマンドを縛り上げさせる。
一方、ピーター、スーザン、ルーシーはケア・パラベルを目指すうちに救い主、ライオンのアスランに邂逅する。雪は解け始め、もの言う動物達や森の精霊たちがアスランのもとに集まり始める。アスランの仲間は、一度は魔女からエドマンドを救い出すが、魔女はこの世の始まりからの魔法で決まっていることだからと、魔女の側に寝返り仲間を裏切ったエドマンドを「裏切り者」として引き渡すよう要求する。しかし、魔女はアスランと二人で話し合った後、引き下がる。
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その夜、アスランは自陣をそっと抜け出す。ルーシーとスーザンは気づいて彼についていく。アスランはエドマンドを救うため、自分が身代わりになって処刑されることを魔女に約束していたのだった。隠れて見守るルーシーとスーザンの目の前で魔女軍はアスランを捕らえ、辱める。最後に魔女は石舞台の上、石のナイフでアスランに止めを刺し、勝利を確信して引きあげる。野ネズミの一団が駆けつけ、アスランを助けようと縛っていた縄を噛み切る。
次の朝、ルーシーとスーザンは轟音とともに石舞台が二つに割れ、アスランが復活したのを見つけて喜ぶ。アスランは彼女らに、魔女が知らなかった魔法、この世の始まりより前からの魔法には、 裏切り者の身代わりに罪無き者が進んで犠牲となるとき、石舞台は砕け、死そのものも元に戻ると定められていたのだと告げる。
復活したアスランとその仲間達は魔女軍と戦ってこれを打ち破る。4人の子どもたちは予言どおりケア・パラベルの玉座につき、4人は長年にわたってナルニアを治める。
ある日、4人は狩で白鹿を追って歩くうちに道に迷い、いつしか衣装箪笥に通じる道を通ってイギリスの同じ部屋に戻ってくる。ナルニアで何年も過ごしたのに、その間、イギリスの方ではほんの数分しか経っていなかったのだった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まあ、こういうストーリーなのですが。アスランが身代わりになるところや、復活を遂げるところなど、言うまでもなく新約聖書がモチーフとなっています。
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この4人兄弟は、ナルニア国に行くまではかなり仲が悪かったんですね。しかも、それぞれ自分のことしか考えていない。しかし、末妹のルーシーの素直さや邪心のなさが、ナルニア国に兄弟を導き入れ、ナルニア国と兄弟の変化をもたらすきっかけを与えていくわけです。
魔女というのは、夜の冷たい闇を支配しているんですね。利己的であり、独裁的なんです。愛情も信頼もない。そういう暗く冷たい世界(地獄)の化身なんですね。
この世界に光をもたらすのは、ルーシーの無垢さが導き出す、「希望」なんです。
兄からつらく当たられていたエドマンドは、魔女の甘言に乗り、お菓子で釣られて兄弟を魔女の元に 引き入れようとするが失敗。とらわれの身となります。彼は聖書で言えばユダでしょうね。兄弟を連れて行けば、ナルニア国の王の椅子を約束されていました。悪心や詐欺というのは、貪欲という隙間に忍び込んでくるのですね。欲深い人ほど引っかかりやすい。
エドマンドの兄や姉も、彼を救出したら、ナルニア国のことなんか見捨てて、現世に帰ろうとしたくらいです。長兄のピーターに至っては小心者で、ナルニア国を救出する使命を諄々と説かれても、自分にはとてもできないといつも逃げようとしているんです。姉のスーザンも自分の保身のことしか考えず、ピーターに楯突いてばかり。一番まともだったのはまだ頑是無いルーシーだったかもしれません。このあたりも、天の国に入るのは、幼子たちであるという聖書の一 節を想起させますね。
ともあれ、何度も死に目に遭いながら、やっとの思いで魔女とその一軍を退治する。その戦闘シーンは圧巻でしたね。めでたくナルニア国の王位にそれぞれ就くのですが、興味深かったのは、新たな称号なんです。
末妹ルーシーは「頼りの君」。次兄エドマンドは「正義の王(君だったかな?)」、長姉スーザンは「優しさの君」、長兄ピーターは「英雄(の王)」と称えられる。
つまり、魔女との戦いによって、それぞれ足りないものが補われた格好になっているのです。このあたりは見事なビルディングス・ロマン(成長の物語)になっている。まあ、これだけの成長を勝ち得るためには、死をも賭さなければいけないというのも示唆的ですね。「虎穴に入らずんは虎子を得ず」ではありませんが、貴重なものを得るためには、それ相応の代償を払わなければならない。
そう考えると、苦悩や辛苦が多ければ多いほど、実りが多いということになるでしょう。目の粗いサンドペーパーの方が� �材の表面をよく研磨します。そこで削れた表面を美しく仕上げるのは、本人次第ということになるのでしょう。
人生で遭遇する出来事すべてを受け入れること。同時に、自分がどう生きていくのか責任を負っていくこと。この二つは互いに矛盾しているようですが、密接につながっているものなのでしょうね。
人生の一瞬先は暗闇ですし、世の中の変化も不透明ですが、荒波に揉まれて丸くなっていく巌でありたいものです。
人間の成長には、導いてくれるガイドと、磨き砂としての困難や課題とが、両方不可欠なのだということを改めてこの物語は教えてくれました。
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